5月の第2日曜日は「母の日」です。
日頃のお母さんの苦労を労い感謝する日ですね。
さてこの「母の日」とはいつどこで生まれたのか、どういういきさつでできたのかはみなさんあまり知らないところだと思います。
そして「母の日」と言えば、定番のカーネーション。
なぜ「母の日」にはカーネーションを贈るのか?
「母の日」の意味や由来、またカーネーションについても色々と解説していきます。
Table of Contents
母の日の意味や由来について
母の日の意味や由来について紹介していきたいと思いますが、「母の日」の起源は実は世界中で色々あります。
日付に関しても日本やアメリカでは5月の第2日曜ですが、スペインでは5月の第1日曜日、また北欧のスウェーデンでは5月の最終日曜となっています。
実は日本の「母の日」はアメリカの「母の日」に由来しています。
なので、ここではアメリカで生まれた「母の日」について見て行きましょう。
アメリカで生まれた「母の日」
1850年代、ウェストヴァージニア州でアン・リーブス・ジャービスという女性が「マザーズデー・ワーク・クラブ」と称して衛生状態を改善し、病気治療と母乳の汚染防止を通じて、乳児死亡率を低減することを目的とした活動していました。
また彼女は南北戦争中には敵味方問わずに負傷兵の看護をする活動も行っていました。
1870年にはアンの活動にヒントを得た女性参政権運動家のジュリア・ウォード・ハウが夫や子供を戦場に送ることを今後絶対に拒否しようと立ち上がって有名な「母の日宣言」を発表し平和を推進するように呼びかけます。
その頃、アンは南北に分かれて戦った人々のためにウェストヴァージニア州の全土で「母の友情の日」と題したピクニックや催しを開いて、かつての敵同士を結びつけるという平和活動も行うようになっていました。
母の日の由来
アンの娘のアンナの活動
アン・リーブス・ジャービスの死後2年後1907年5月12日、娘のアンナ・ジャービスが亡き母親を偲んで、母が教師をしていた日曜学校の教会で母を追悼する会を行います。
これがアメリカでの母の日の起源とされています。
母の日のお祝い
1908年5月10日、アンナの出身地であるウェストヴァージニア州グラフトンや、アンナが当時住んでいたペンシルベニア州フィラデルフィアなど数都市で家族が集まる催しが開かれました。
アンナの母への思いに感動した人々が同教会に集まり最初の「母の日」を祝ったのです。
アンナはこの礼拝に出席はしなかったのですが「母の日」の重要性を記述する電報を送りました。
またアンナは友人達に「母の日」を国中で祝うことを提案します。
「母の日」が記念日に
1914年になりウェストヴァージニア州の知事が「5月の第2日曜日を『母の日』にする」と宣言します。
こうして正式に「母の日」としてアメリカの記念日に制定されます。
日本で「母の日」を広めたのは森永製菓?
1913年、青山学院で母の日礼拝が行われます。
アンナから青山学院にメッセージが届いて当時の女性宣教師たちの熱心な働きにより日本でも「母の日」が定着していくきっかけになります。
1931年に大日本連合婦人会が結成され、皇后の誕生日であった3月6日を「母の日」としましたが普及しませんでした。
1936年に製菓会社の森永が各団体に協力を呼びかけ「母の日中央委員会」を設立します。
1937年5月8日には「第1回 森永・母の日大会」が豊島園で開催されます。
ポスターが貼ってある菓子店で招待券を配って、20万人のお母さんを無料で招待するといったものでした。
招待券には「電車の乗車券」「豊島園の入場引換券」「森永のお菓子の引換券」「牛乳・コーラス・コーヒーなどの接待券が当たる福引き券」がついていました。
当日の園内では「母をたたえる式」が行われて楽しく過ごす子供達とお母さんたちで賑わいました。
この催しはこの後も主要都市で毎年回されるようになっていきます。
その様子が新聞や雑誌で取り上げられ、日本各地へと広まっていったといわれています。
その後1949年頃からアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになります。
他の国での「母の日」
マザリングサンデイ
イギリスやアイルランドで祝われている母の日になります。
その年によって日付が変動する「移動祝日」となっていて、キリスト教暦の四旬節期間の第4日曜日に祝われます。
マザリングサンデイではドライフルーツがたくさん入れられたクリスマスケーキのような「シムネルケーキ」が食べられラッパズイセンという内側の副花冠がラッパのように突き出た黄色い花を贈る習慣があります
1600年頃にイギリスで家族で母に感謝する日として定着したと言われています。また奉公中の子どもが教会で母親と面会するなどの行事お行われるようです。
母の日に贈るカーネーションの意味
母の日と言えば赤いカーネーションを贈るイメージがあるかと思います。
どうして「母の日」に「カーネーション」なのでしょうか?
1908年5月10日に行われた最初の「母の日」のお祝いの際、アンナは出席はしませんでしたが、参加者全員に500の白いカーネーションを贈りました。
白いカーネーションは母アン・ジャービスの大好きな花だったからです。
ここから白いカーネーションが母の日のシンボルとなります。
母の日のカーネーションの色の意味について
母の日に贈られるカーネーションはその色によって意味も変わってきます。
また花言葉は日本と西洋でも変わってきます。
それぞれの花言葉を紹介していきます。
カーネーション全般の花言葉
「無垢で深い愛」です。
西洋での花言葉
「魅惑・魅力」「愛情」「卓越・名声」
以下はそれぞれの色でのカーネーションの花言葉になります。
◆赤いカーネーション
「母への愛」
(母の日が普及する以前は「哀れな心」)
西洋での花言葉
「あなたに会いたくてたまらない」「深い愛」「敬愛・感嘆」
◇白いカーネーション
「純粋な愛」「私の愛は生きています」
西洋での花言葉
「かわいくて愛らしい」「純潔」「純粋な愛」
「母の日」に贈る定番の赤いカーネーションには「母への愛」というストレートな意味があるのです。
西洋でも「深い愛」や「敬愛」など母への想いがあふれる意味あいがあるようです。
やはり「母の日」に贈るにはピッタリかもしれません。
またアンナが贈った母親アンが大好きだった白いカーネーションには「純粋な愛」や「私の愛は生きています」という意味があります。
母の日が始まった時のシンボルとなった白いカーネーションもまた母への想いがつまった意味があるのです。
今では「母が健在の人は赤いカーネーションを」「母を亡くした人は白いカーネーションを」というように区別されたりもしています。
最近ではカーネーションの色もたくさんあり、赤色にこだわらなくても良いという風潮も広まっています。
他の色の花言葉も紹介していきましょう。
◆ピンクのカーネーション
「女性の愛」「熱愛」「美しい仕草」「感謝」「温かい心」「上品・気品」
西洋での花言葉
「あなたを決して忘れません」「女性の愛」「母の愛」
◆紫のカーネーション
「誇り」「気品」
西洋での花言葉
「気まぐれなこと」「変わりやすい」
◆黄色いカーネーション
「軽蔑」
西洋での花言葉
「あなたには失望しました」「拒絶・拒否」「軽蔑」
黄色のカーネーションは贈り物としては注意が必要ですね。
「母の日の意味と由来について|カーネーションの色の意味も紹介!」のまとめ
母の日の意味と由来について紹介してきました。
カーネーションももともとは白色のものが「母の日」のシンボルになっていました。
今では色んな色のカーネーションがありますが、色によって少しずつ意味合いも変わってくるので贈る際には花言葉を参考にプレゼントすると良いでしょう。
大事な事はお母さんへの感謝の気持ちだと想います。
母への感謝を忘れずに!
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