2月14日はバレンタインデーですね。
「女性から男性にチョコレートを贈る」
というのが日本では定着しています。
好きな人だけではなく、上司や同僚、今では同性の友達にも贈ったりします。
文化や風習は時代や場所によって形を変えていきますがもともとの起源をたどってみましょう。
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バレンタインデーの起源を簡単に解説
できるだけ分りやすいように簡単に分るように説明したいと思います。
バレンタインデーは人の名前
バレンタインデーは「聖バレンタインデー」とも呼ばれ、世界のいろんな場所でカップルにとっての愛の誓いの日とされています。
英語では「St.Valentine’s Day」セイントバレンタインデーと呼ばれています。
「聖」というのはキリスト教での聖人をさします。
「聖人」とは生きている間にキリストのお手本に忠実に従って、その教えを完全に実行した人のことです。
昔のローマにいた聖人「ヴァレンティヌス」という神父さんに由来します。
当時のローマのお祭り
まずは当時のローマで行われていたお祭りについて見てみたいと思います。
当時も2月14日は特別な日でした。
ローマ神話で女性の結婚生活を守る女神『ユーノー』の祝日でした。
(ちなみに6月の英語にあたる「June」はこのユーノーに由来します。)
そして翌日の2月15日は【ルペルカリア祭】という安産や豊作を願う祭りの始まる日でした。
ルペルカリア祭
この時代の若い男性と女性は生活が別々でした。
祭りの前日に女性は自分の名前を書いた札を桶の中に入れておきます。
そして、翌日男たちが桶の中から一枚札を引き、引いた男性と札に名前の書いてる女性はお祭りの間パートナーとして一緒にいることが決められてました。
普段別々の生活をしている男女が、いきなり長い時間一緒にいることになるので恋に落ちるカップルもたくさんいました。
その多くのパートナーが結婚したのです。
もうひとつの儀式
また、この祭りでは若い男たちが裸同然になってヤギや犬の皮でできたムチを持って、村を駆け巡り未婚女性たちを叩くという儀礼もありました。
ムチで打たれれば安産・多産になると女性たちは集まって儀礼を望んだとされています。
当時のこの儀礼がどんなテンションで行われていたのかは分りませんが、いくら安産・多産が目的といえど、想像するとこわいお祭りですね。
ローマ帝国の皇帝クラウディウス2世が結婚を禁止する
当時は3世紀のローマ帝国。
皇帝『クラウディウス2世』が兵士たちの結婚を禁止します。
というのも、愛する家族や恋人たちができると戦争に出たくなくなり、兵士のモチベーションが下がるという理由からです。
そこで、先ほどの神父さんヴァレンティヌスの登場です。
結婚をしたいと思っている兵士たちに対して、こっそり結婚式を行ってあげました。
しかしそれバレてしまいます。
怒った皇帝クラウディウス2世は二度としないようにとヴァレンティヌスに命令します。
命令に屈しないヴァレンティヌス
当時のキリスト教はローマ皇帝による迫害の中にいました。
結婚の禁止の他にも、キリスト教からローマの宗教への改宗も命令されます。
ヴァレンティヌスはクラウディウス2世の命令に屈しませんでした。
とうとう、ヴァレンティヌスは投獄されてしまいます。
獄中での奇跡
獄中でもヴァレンティヌスは看守たちに神の愛を語ったとされています。
ある看守に召使いがいて、その召使いには盲目の娘がいました。
盲目の娘は獄中のヴァレンティヌスの容体を気にかけたびたび訪れていました。
そして訪れたときにキリスト教の教えを受けていました。
何度もヴァレンティヌスの教えを受けている内に娘の体に奇跡がおこります。目が見えるようになったのです。
彼女の家族たちも心から敬服し、当時禁じられていたキリスト教に転向します。
この一連の話を聞いたローマ帝国皇帝は激怒します。
そして、最終的にヴァレンティヌスは処刑されてしまいます。
このことによって、キリスト教ではヴァレンティヌスは守護聖人となりました。
処刑の前日にヴァレンティヌスは目が見えるようになった少女に手紙を送ります。
手紙の最後に、こう書かれていました。
『From Your Valentine』
現在のバレンタインで相手に渡すカードに「From Your Valentine」と書かれていることがありますが、それはこのヴァレンティヌスが少女に送った手紙がルーツになっているとされています。
ヴァレンティヌス処刑の日
ヴァレンティヌスの処刑の日はユーノーの祭日である2月14日が選ばれます。ルペルカリア祭に捧げる生け贄とされたといわれています。
ヴァレンティヌスの死後、西暦313年当時のローマ帝国皇帝がキリスト教を公認します。
禁じられていたキリスト教がようやく公認されたのです。
公認されたあとキリスト教は定着していきます。
ヴァレンティヌスの死後200年後のローマ
異教の要素を排除したいということと、風紀を乱すことを懸念したキリスト教ローマ教皇から先ほどの男女が結ばれることの多かった「ルペルカリア祭」は廃止されます。
西暦5世紀のことでした。
廃止されたルペルカリア祭ですが、しかしすでに民衆には大人気のイベントだったので廃止するには難しかったのです。
するとキリスト教は聖人ヴァレンティヌスの伝説に結びつけてキリスト教の殉教者を祭るお祭りにすることにしました。
「男女祭り」という部分は残したまま、内容を変え、くじ引きの札には女性の名前ではなく聖人の名前を書き、1年間その聖人に習った生き方をすることを応援するといった内容のものにします。
これが『バレンタインデー』の始まりです。
これ以降、2月14日は恋人たちがカードを贈り合ったりする日として定着します。
バレンタインデーの起源、なぜチョコを渡す?
日本のバレンタインデーでは女性から男性へチョコレートを贈るのが習慣になっています。
その形ができあがったのが1950年代です。
始まったのには諸説あります。
モロゾフ説
1936年(昭和11年) 洋菓子店モロゾフ株式会社が「バレンタインデーにチョコを贈る」ということを日本で最初に提唱した。
2月12日に東京で発行されていた外国人向けの英字新聞に「あなたのバレンタインにチョコレートを贈りましょう」という広告を出しています。
これが確認されている最も古い「バレンタインデーにはチョコを」の広告です。
1992年に聖ヴァレンティヌス殉教の地であるイタリアのテルニ市から神戸市に愛の像が贈られました。
それは神戸が日本のバレンタインデーの発祥の地と分かったからだったらしいです。
1956年(昭和31年) 西部百貨店や松屋が「バレンタインデー」の広告を出しています。
メリーチョコレートカンパニー説
1958年(昭和33年) メリーチョコレートカンパニーが新宿の伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」と手書きの看板をだした。
三日間で売れたのが30円の板チョコ5枚と4円のカード5枚だけだったそうです。
翌年にハート型のチョコを作り「女性から男性へ」という文句を作ったのもその頃です。
1959年(昭和34年) 松坂屋の新聞広告にも掲載されています。
1960年(昭和35年)森永製菓が「愛する人にチョコレートを贈りましょう」という新聞広告を出しています。
1965年(昭和40年)伊勢丹がバレンタインデーのフェアを開催して、これがバレンタインデー普及のきっかけとなったとする説もあります。
しかし上述のように伊勢丹よりも先に手がけているデパートもあります。
1968年(昭和43年)ソニープラザがチョコを贈ることを流行らようとしたという説。
色々な事実と流行るきっかけになった説がありますが、どれもやはり企業が絡んでいますね。
バレンタインデーの起源、日本の場合では?
企業の戦略もあり、バレンタインデーにチョコを贈る文化はどんどん日本中へ広まっていきます。
1970年代前半頃 小学校高学年から高校生までの学生層に広まる
1970年代後半頃 女子が男子に本命チョコを贈るという「日本のバレンタインデー」が定着する
1980年代前半頃 義理チョコとホワイトデーが登場する。
1980年代後半頃 主婦層にまで普及していき、夫や父親、義理の父親に贈るようになります
2000年代以降 「女性から男性へ」というところを抜けだし、女性から女性への「友チョコ」が広まり、男性から女性への「逆チョコ」、輸入品や高級品を自らのために買う「自分チョコ」などが出てくる
さらに最近では 男性から男友達へ「強敵(とも)チョコ」なども増えてるのです。
これからも日本型のバレンタインデーは時代とともに形を変えながらも続いていくのではないでしょうか。
バレンタインデーの起源を簡単解説、なぜチョコ?日本独自のイベント?のまとめ
バレンタインデーはローマ時代のローマいたキリスト教の神父さんの名前に由来していました。
長い歴史があり、日本では色々な企業の戦略によってチョコを女性から男性へ渡すという習慣ができます。
そして1970年代から全国に広まっていきすっかり定着し、現在に至ります。
これからも形を変えながらも日本独自のバレンタインデーは続きそうですね。
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