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お正月

餅を正月に食べる理由は?雑煮に入れたり、お供えするのはなぜ?

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餅と聞いて連想するのはやっぱり「お正月」でしょう。

おせちに並び、正月に食べるものの代表になると思います。
雑煮に入れたり、お供えされたりと、正月になればお餅の出番が増えます。
というかお正月以外ではむしろあまり食べる機会も少ないのでは?

どうして正月になったら餅を食べるのか?
雑煮に入れたり、お供えしたりする理由についてもご紹介します。

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餅を正月に食べるのはなぜなの?

今では「餅」は日本人にとってお正月に欠かせない食材の1つですが、その歴史はとても古くからあるものでした。
餅の歴史をまずは探ってみます。

餅はいつから食べられてたんでしょうか?

実は餅の歴史はとても古くて、稲作の伝来とともに日本に伝わったとされています。
当時の米は赤色に近くて餅になりやすかったようです。

考古学では土器の状況から蒸し器が作られ普及していたと判断され、古墳時代後半にあたる6世紀頃には米を蒸すことが多くなっていて餅も作られていたと考えられています。

もうこの頃には広い範囲で「餅」が食べられるようになっていたのです。

また、奈良時代に編纂された『豊後国風土記』(713年)にはすでに餅が書物に登場します。

豊後の国にいた農民たちが豊作をいいことに余った稲を刈らずにそのまま捨てて置いていました。
そのうえ、余った米で大きな餅を作り、的にして矢で射ったところ、その餅が白鳥となって飛び去りました。
その後、その家や村が没落したり、水田は荒れ果てた野になってしまったというお話です

この記述は稲作信仰白鳥信仰の密接なつながりを示すものとして語られ続けてきています。
米から作る「餅」もまた神聖なものとして考えられていたのでしょう。

こういった稲作信仰は平安時代から特につよくなっていきます。

正月に餅を食べるようになったのは、平安時代の「歯固めの儀式」に由来する

平安時代「歯固めの儀式」という正月行事がありました。
宮中で行われていた儀式で、1月1日から3日までの期間に「硬いものを食べることで歯を丈夫にして健康と長寿を祈願する」というものです。
「歯」は「齢」という漢字にも含まれています。
齢を固めて新たに生まれ変わるという意味があり、この時期に硬いものを食べて歯を固めて、長寿を願うとされたのです。

このときに食べるとよいとされてきたものは

・大根 ・瓜 ・猪肉 ・鹿肉
・押鮎(おしあゆ)[鮎を塩押しにしたもの] ・勝栗(かちぐり)[栗をほして臼でついたもの] ・雉肉 ・焼き鳥
そして「餅」です。

餅なんて硬い?と思ってしまいますが、使われていたのは「鏡餅」です。
「鏡餅」なら硬いですよね。

ちなみにこれらはあくまで儀式であり実際には食べてはいなかったそうです。

餅はこのように正月のような「ハレの日」に神様に捧げる神聖な食べ物とされてきたのです
単なる食べ物ではなく、神が宿る特別なものとして敬われてきたのです。

「お餅はよく伸びて切れにくい」ので、「寿命が伸びて健康で長く暮らせるように」との意味が込められ、めでたい「ハレの日」とされる行事にはかかせない縁起物の食材となっていきます。

「ハレの日」
古くから日本人は、普段の生活を「ケ」、おまつりや伝統行事をおこなう特別な日を「ハレ」と呼んでいました。
「日常」、「非日常」を意識してたのです。

今でも日本人は「晴れ舞台」「晴れ姿」「晴れ晴れ」というように、「ハレ」ということばを用いておめでたい節目を表しています。

昔の人はハレの日には日常とは違う、「衣・食・住」「振る舞い」「言葉遣い」を用いて気持ちを新たにしていたのです。

なので「正月」という、まさにめでたい特別な「ハレの日」のための特別な食材として餅は食べられていたのです。

 

正月に餅が雑煮に入れられる訳は?

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昔の人は新年を迎える大晦日にお餅をついて鏡餅として供え、他の産物と一緒に新しい年の「歳神様(としがみさま)」にお供えをし、元旦にそのお供えを下げて煮込んだ料理を食べて旧年の収穫や無事に感謝をして、新しく迎える年の豊作や家内安全を祈りました。
その煮込んだ料理が『お雑煮』です。
野菜とお餅などの具材を「煮雑ぜる(にまぜる)」という言葉が転じ、「雑煮」となったのです。

また鏡餅には歳神様の魂が宿っているとされ、鏡餅の餅玉が歳神様の魂でありその餅玉を食べるための料理が『お雑煮』だったのです。

ちなみに神様の魂はその年の魂となる「年魂」です。
その年魂を表す餅玉を家長が家族に配ったのが「御年魂」「御年玉」で、「お年玉」のルーツと言われています

お雑煮に野菜と餅が入っているのは、野菜とお餅から、「菜を餅上げる」→「名を持ち上げる」→有名になる。
というように縁起をかついでいたとも言われています。

先ほどのように、餅は長く良く伸びるので長寿を願うのにも縁起がいい食べ物だったのです。

雑煮に入ってるのは丸餅、角餅?

餅には丸餅や角餅がありますが、餅の形にも理由があります。

だいたいですが西日本は丸餅が多く、東日本は角餅です。
そして、丸餅は煮て食べ、角餅は焼いて食べられる場合が多いです。

西日本の丸餅

雑煮の発祥の地、京都では餅をついて一つ一つ手で丸める丸餅が主流です。
丸餅は「円満」を意味し、京都の食文化の影響が西日本の雑煮に用いられるようになったのです。

円形は生命の根源で神聖なものとされ、刃物で切ることは禁じられ食べやすく小餅にされました。
鏡餅も同じく刃物を入れることはタブーとされ、「鏡開き」の際は槌などでたたき割る方法が取られるようになったと言われています。

東日本の角餅

江戸の食文化として東日本に角餅が広まったとされています。
将軍がいた江戸では「敵をのす」という意味で、「のし餅」が使われるようになったといわれています。
人口の多い江戸ではかまどが1つしかない長屋住まいの人は餅をついて丸める余裕がなかったので、手早く大量に作れるように、のし餅を作ってそれを一気に切って角餅にしたとも言われています。
また武士たちが携帯しやすい形に改良して角餅になったとも言われています。

お雑煮についてはコチラ→お雑煮の具材にある意味は?関西と関東での違いについてご紹介

正月に餅をお供えするのはなぜ?

お正月には「鏡餅」としてお餅をお供えし飾ります。
鏡餅は円い(まるい)鏡の形をあらわしていたり、心臓の形をあらわしていたり、円く円満な人間の霊魂をかたどっていると言われています。

昔の鏡は丸い形をした銅鏡でした。鏡は天照大神から授かった三種の神器のひとつです。
鏡をご神体としているところもたくさんあります。

鏡餅は歳神様の居場所になるので、ご神体としての鏡をお餅で表して「鏡餅」と呼ばれるようになりました。

昔からの稲作信仰にもみられるように新鮮で清らかな米からついてできたお餅もまた清らかなものとされたのでしょう。

そもそも、今も正月飾りとして残っている門松やしめ飾り、鏡餅といったお正月行事というのは新年の神様「歳神様」を家に迎え入れて、もてなし、見送るための行事です。
そして、お迎えした歳神様の依り代、つまり歳神様の居場所となるのが「鏡餅」なのです。

歳神様は正月の間、お供えした鏡餅に住み着くので、鏡餅には神様のパワーが宿り、それを正月か終わり神様が帰られたあとで食べることにより神様の力を授かると考えられてきました。

お餅をお供えすることで神様の魂を分けていただいていたのですね。

鏡開きについてはコチラ→お正月の鏡開きのやり方、お餅の食べ方レシピ、真空パックでは?

餅を正月に食べる理由は?雑煮に入れたり、お供えするのはなぜ?まとめ

餅を正月に食べるのは平安時代の「歯固めの儀式」が由来していました。
正月に歳神様を迎え餅を「鏡餅」としてお供えし、神様の魂が宿った鏡餅を神様を見送ったあとで分けてお雑煮に入れて食べていたのです。
お正月にお餅を食べるときは、このような事を思い出して食べてみるのもよいかもしれませんね。

おせち料理についてはコチラ→おせち料理の由来や意味について。重箱や雑煮についても解説
コチラも参考に→おせち料理の由来と歴史、いつ食べるのが正しいの?

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