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ひな祭り

ひな祭りの由来や意味、そして歴史を知る。そしてぼんぼりとは?

投稿日:2018年11月1日 更新日:

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3月3日は「桃の節句」ひな祭りです。
小さな女の子のいる家庭ではおひなさんや桃の花を飾ったり、またスーパーにいけばひなあられを見かけたりします。

さてどうしてひな祭りと言うと、そういった文化が出来たのでしょうか?
以外と知らない方も多いと思います。

子供に聞かれた時にも答えられるように「ひな祭り」について見ていきましょう。

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ひな祭りの由来や意味は?

まず『ひな祭り』とはご存じの通り、女の子の健やかな成長を祈る節句です。ちなみに『節句』というのは年中行事が行われる季節の節目となる日のことです。

『節句』にはとくに大事にされている『五節句』があります。

・人日の節句 1月7日
・上巳の節句 3月3日
・端午の節句 5月5日
・七夕の節句 7月7日
・重陽の節句 9月9日

昔の日本では、これらの日は奇数が重なっていて縁起が良いとされていました。

『桃の節句』とも呼ばれる『ひな祭り』の日はこの『上巳の節句』(じょうしのせっく)の日にあたりますね。
旧暦の3月3日は今でいう4月上旬頃になります。温かくなってきて桃の花が咲く頃です。
桃の木というのは古くから邪気を祓うと言われていました。桃の木がお節句のお祝いにふさわしいとされ、いつからか『桃の節句』と呼ばれるようになったのです。

平安時代の日本ではこの三月上旬の巳の日に草木や紙、藁などで作られた人形に自分の穢れや厄災を移し、川に人形を流して厄災を祓う「流し雛」という風習がありました。
この行事は現在の日本でも地域によっては行われています。
上巳の節句の穢れ払いとして雛人形は「災厄よけの守り雛」として祀られるようになりました。

そして、それとは別に平安貴族の女の子の遊びごとの中で「雛遊び」と言われる、紙の人形を使った遊びがありました。

江戸時代になって、この「雛遊び」と節句の儀式であった「流し雛」が結びついて全国にひろまって飾られるようになったのです。

ひな祭りに雛人形を飾るのは、これらの風習の通りでおひな様に女の子の穢れを移して厄災を祓ってもらうためなのです。

また、そういった厄払いの意味があることから、3月の2日から1日間だけ飾る「一夜飾り」は良くないとされています。遅くても2月の中旬くらいまでに飾り始めないといけないと言われています。

 

 

また桃の花や菱餅などのお供え物にも意味があります。

・菱餅

菱餅は下から緑色白色赤色の順番になっていますが、緑色=大地白色=雪赤色=桃 を表していて、「雪の下には緑が芽吹き、溶け出した雪の上には桃の花が咲く」という意味がこめられています。
また緑色=健康、長寿 白色=純白、清浄 赤色=厄払い、解毒作用  といった意味もあります。
菱形そのものにも由来があり、「大地を表している」「心臓を表している」「子孫繁栄を願っている」「長寿の願いが込められている」など他にもいろいろな説があります。

・桃の花

桃の花には「魔除け」「長寿」のパワーがあるとされている。
中国では上巳の節句桃の花を愛でて桃の花を漬けたお酒を飲んで、桃の葉が入ったお風呂に入って邪気払いを行っていたとされています。

また江戸時代の桃の節句は現在と大きく違う点があります。
それは「雛の国見せ」と言われるものです。
「雛の国見せ」とは飾られているひな人形を持ち出して、海や山、野の景色をひな人形に見せてあげるのです。天気の良い日にお菓子を持って屋外に持ち出していたのです。
今ではしない行事ですね。
このときに持ち出していたお菓子が「ひなあられ」なのです。

江戸時代の女の子は「ひな人形」と共に「ひなあられ」を持って外に行き美しい自然を眺めながら食べていたのですね。

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ひな祭りの由来、その歴史

「上巳の節句」

は昔の中国では邪気や穢れなどが襲ってくる忌み日とされていました。
その忌み日での災難を避けるための禊(みそぎ)の習慣がありました。水辺で身を清めることで災いから免れるようにするといったものです。
それが日本に伝わってきて、さきほどの「流し雛」の風習へとつながります。

『ひな祭り』は江戸時代になって全国に広まりますが、3月の節句にひな祭りを行うようになったのは安土桃山時代の天正年間以降、16世紀後半以降と推測されています
昔、上巳の節句では女の子の節句としての行事ではなく男女共通の行事として厄払いや邪気払いがされていましたが、江戸幕府が3月3日を上巳の節句の日と定めて、雛人形をかざる女の子の日としました。

ひな人形も江戸時代前期のころになると職人の技術も高くなり人形が豪華になっていきます。
そして武家の婚礼道具にもくわえられるようになり、「流す」ものから「飾る」ものへと変化してきます。

元々は男女一対の内裏雛を飾るだけの物でした。それが飾り物としての形に変化していくにつれ、自然と贅沢たものになっていきます。
十二単を着せた「元禄雛」や京都で生まれた「享保雛(きょうほびな)」のような大きなものも作られるようになります。

 

ひな祭りの由来、ぼんぼりとは?

ぼんぼりは漢字では「雪洞」と書きます「せっとう」とも読みます。
ロウソク立てに長い柄をつけた灯具のことです。
今で言う「照明」ですね。
紙や絹で覆われていて、長い柄をつけ下座に台座をつけた「小型の行灯」。


江戸時代でも使われており、「ぼんやりとしてはっきりしないさま」「物がうすく透いてぼんやり見えるさま」のような意味で使われてました。
つまりは「ぼんぼりと灯りがみえる照明」としてそういう名前がついたのでしょう。

「あかりをつけましょぼんぼりに~」と歌われていますがなぜ灯りをともすのでしょうか?

ひな祭りのひな人形は結婚式の様子を模したもので、それが江戸時代に広まりました。
江戸時代の結婚式は今でいう夜の9時から11時の間にあり真っ暗でした。
そこで「ぼんぼり」が必要とされており、その名残として今でもひな祭りになると『ぼんぼり』を飾るのです。

 

まとめ

以上、ひな祭りの由来や意味、歴史についてでした。

古くから現在にかけて伝わる色んな行事やお祭りにはひとつひとつに色んな意味があるんですね。
長い年月をかけて形を変えながらも、ずっと伝わってきている伝統行事。
この先、何十年、何百年と経っていけば、私たちが当たり前と思っている現在の形のお祭りや行事も、全く形の違う物になっていくのかもしれません。

しかし子を思う親の気持ちはいつの時代も変わらずに尊いものだと思います。

ひな祭りに限らずにいろんな節句やお祭りにも、親から子へ、そして幸せを願うの尊い気持ちがあるのですね。

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